涼宮ハルヒ15周年だそうで。オタクの入り口はあの時代のライトノベルでした
涼宮ハルヒが15周年だと聞いて、かなり感慨深い(角川スニーカー文庫は30周年だそうで)。
思い返すと、涼宮ハルヒが発売した当時、思春期真っ盛りで小説が好きだった私は、神保町三省堂に入り浸り、毎週本を物色していた。
そんな私は 「このSFがすごい」の1位に載っていたことをキッカケで「涼宮ハルヒ」を知り、その場で買ったと記憶している。
当時の私はライトノベルという言葉自体を認識していなかったし、世の中的にも浸透していなかった。そのため、私の歴史としては、これがライトノベル(オタク業界)への入り口だったが、後にスレイヤーズやロードス島がライトノベルだと知り、驚いた。勿論スレイヤーズは知っていたが(ドラグスレイブの詠唱は忘れた)、当時はライトノベルだとは思っていなかったくらい。
時を同じくして(恐らく1年経たずで)、「このミステリーがすごい」で「クビキリサイクル」を知った。上記同様にこれもライトノベルだと思わず読んでいた。その後、清涼院流水、森博嗣にたどり着いたりもした(S&Mシリーズが好きでした)。
いーちゃんの名前当ては2chでかなり議論した記憶がある(ザレゴトディクショナリーに書いてあると信じて当時購入したが載ってなかった)。 いい加減正解を教えてください。
これらをキッカケに、その後
「まぶらほ」(最近、完結したと聞いて驚いた。)
「シャナ」
「イリヤの空、UFOの夏」(ミナミノミナミノはいつ続編が出るのだろうか)
「リバーズエンド」
「9S」
「私たちの田村くん」
「ゼロの使い魔」(描きかけのラブレターは名作です)
「空の境界」(DDDは・・・)
「狼と香辛料」(ワールドエンドエコノミカをしっかりやってないことを思い出した)
「俺妹」
とすごい勢いでライトノベルにはまっていった。
こうやって振り返ると、ライトノベルの隆盛とともにオタクとなっていったんだなぁと今では感じるし、「最近のライトノベルは読む気にならない・・・」と8年くらい前から思っているが、老害だなぁと反省した。
書いてみて当時を思い出し懐かしい気持ちになったが、とにかく言いたいのは「終わりのクロニクル」をアニメ化して欲しいってことです。
日本の修士・博士の減少について思うこと
以下の記事が話題になっていた。
修士・博士:日本だけ減少…研究力衰退あらわ 7カ国調査 - 毎日新聞
特に他国と比べて日本の特徴は、自然科学系が日本は多く、人文・社会科学系が少ないらしい。
よく言われているとおりだが、日本の場合、博士までいった後の道が果てしなく険しいというのが周知の事実になってきたからだろうか(文系の方がそれが顕著であるようにも思える)。
私自身、自然科学の修士卒だが、仲間うちでも博士に行くのは人生を博打にかけるようなもので、本当にその学問(研究)が好きな奴しかいかない、というのが共通認識であった(事実、博士にいって研究職に就いているのは、三度の飯より学問が好きな奴であったし、教授陣もそのような人の集まりであった)。
ほとんどの自然科学の修士の方は「そこまでできないな」と思い就活をすると思っている(実際、私は研究職に就くつもりで大学に入ったつもりでいたが、修士時代に、一生その学問を続けるのは難しいと思い、就活をする決断した)。
ただ、現在社会に出て、自身の専門分野と違う勉強したいと思うようになった。リカレント教育というのも流行ってる(?)中、LIFESHIFTのリンダ・グラットンの言っているように、今後「大学 → 社会人 → 大学・・・」と行き来するのは悪くないように思える。
(1回社会に出た後、「学問の場」という貴重さを身をもって感じる中、改めて学ぶ学問を選ぶのは良いことだと思う。)
最も長寿である日本が推進していくのは上記のロールモデルではないだろうか。
今後、実学の学べる大学の整備されていくといいなぁ。